86 エイティシックス 第5話「私も一緒に」I'm With You

86の詳しい説明はWikipediaにお任せするとして。

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21年春アニメの中でも異色の哲学系アニメ

「生ききるとは、こういうことさ」
~人間と豚の友情を描く、ハートウォーミング戦争物語~

「人権とは何か?」を問い続けているこのアニメもとうとう第5話まできました。
そしてエンディングが戻っていた。

過去記事はこちらから。

さて置き。
怖いよ。でも、戦わないと生き残れないから
で始まる、過去回想というかシンの過去回的な背景的な。
ある意味ボーイミーツガールのお約束?
今回から、お互い階級呼びに変わっていますね。
少佐と大尉。

今回は前振り回なんですかね。
1クールで1巻だとすると、確かに進みが早いな、とは思ってました。
差別の本質については前回で既に履修済みで一旦終了の模様です。
でも根底にあるので、復習すると
差別の本質は平均を見て個を見ない
です。
これが分かっていないと、この先は中々に理解が難しいかも。
難しかった人は、もう一度1話から見直して「人権とは何ぞや」と自分に問いかけてみて下さいませ。
若しくは小説を読みましょう。

少佐、この戦争は貴方たちが負けます。
86達は減り続け、レギオンは増え続けている。
将来的に、物量的に負けます。
86達に自分の命を押し付けた結果、負けると言っています。

これ、現代日本でも意外と当てはまるんですよね。
さて、我々は自分の命を誰に押し付けているのでしょうか?
ミシェル・フーコー(1926年~1984年)をご存じでしょうか?
昔々、人は死によって人を支配していました。これをマキャベリズム、と言います。
現代は生によって人を支配している、と言われています。
成程、と思えますでしょうか?
現代日本では、人を支配する為に「貴方の命を守ります」と言っているのです。
そして人々は「私の命」を守るのは「他人の役目」だという構造の中に生きているのです。

例を上げましょう。
例えば「国」です。
コロナ禍で顕著になりました。
国が悪い。お願いするなら給付金寄越せ
意味が分からない。誰の命なのか?自分達の命ではないのか?
これ、
政府が86、国民がアルバ
という図式に当てはまります。
我々は、政府で働いている人達を人として見ているのでしょうか?
「政府で働いている」というカテゴリで見て、他人のせいにして、そして我々は高みの見物をしているこの姿、アルバと重なって見えます。 
だから、「政府が悪い」と口を揃えて言うのです。

他にも誰とは言いませんが
コロナ禍で
今はバンバン金を配れ、後で金持ちから徴収すれば良い
と言った人がいます。
歴史上、これと同じ事をやった人がいます。
ヒトラーです。ユダヤ人を捕まえて、金を剥ぎ取りゲルマン民族に配った。
これが最終的に何を生み出したのか、と言うと、ホロコーストです。
ホロコーストについてはもっと色々な角度で考えられますが、何時か書けたら良いな、という事で一旦放置。
この場合、今回の図式に当てはめると、
86は金持ち、アルバはそれ以外
という事になります。

コロナから離れて見ましょう。
極一部のフェミニズムの例です。
戦争は男が始めたのだから、男だけが死ねばいい。
これは
男が86、女子供がアルバ
という図式に当てはまります。
男と女子供というカテゴリ分け、ですね。
これは戦争なので「86とアルバ」という図式に非常に当てはめやすい例です。
86になぞらえましょう。
国中の男が死に絶えた時、女子供はその後どうするのでしょうか?国を明け渡して終了でしょうか?新しい統治下で新しい生活を始めるのかもしれません。でも本当にそうなるんでしょうか?アルバと同じ運命を辿るのではないでしょうか?
あともう一つ。
男の子は18歳だか20歳だかで男というカテゴリに含まれるため、戦争に駆り出されます。もしかしたら16歳で出すかもしれませんね。もっと小さくなっていくかも知れません。
我が子を戦争に出す訳ない?
いやいや、出しているじゃないですか。男を戦争に出している。
親のいない人間が存在しないように、みんな誰かの子供なんです。
自分から見た我が子は他人から見たら他人の子、なんですよね。当たり前ですが。
そして我が子よりも、他人の子、と思う人の方がメジャーなのです。
ならば、他人の子供を戦争に出したように、構造は我が子を戦争に出させます。
何の為に?誰の為に?どんな理屈で?
自分達が戦わない為に。女子供の為に。
戦争は男が始めたのだから、男だけが死ねばいい。

何が言いたいかというと、シンが言っているこの理屈
共和国民である我々の生活の中で意外と当てはまる部分が多い
んですよね。
私たちは、日常生活の色々なシーンで、アルバであり、86である。
前回、レーナはアンコンシャス・バイアスに気が付き、真摯に向き合おうと決意しました。
さて、我々はどうでしょうか?
あなたはレーナですか?スピアヘッド隊の人々ですか?それとも86ですか?アルバですか?
自分は今でも「自由と平等、博愛と正義と高潔」な存在なんだと合理化してる人達にとっては「これはこれ、それはそれ」なのでしょう。
シンは言います。
その時アルバは戦えますか?
兵役も戦費も、自分以外の誰かに押し付ける事を覚えてしまったあなた達が。
さて。我々はその時、戦えるのでしょうか?
言い換えましょう。
我々はいま、戦っていますか?
(戦う必要は一切無いですが)


あともう一つ。忘れてはいけない視点があります。
シンは何故、こんな事を言ったのでしょうか?

間違えちゃいけないのは、只の嫌味だとか皮肉だとかではない、と言う点です。
その程度の意志だと、生き残れないんですよね、この戦場。
だからスピアヘッドの面々は
「レーナを受け入れる事が出来る」
のです。
レーナをアルバとして括らず、個人として見られるのです。
実は前回までで描かれています。ちょいちょい出てます。
象徴的なシーンはこれ。
歴代のハンドラー。豚にしているけれど、それぞれ全部違う絵、なんです。
アルバという括りでは無く、豚ではあるけれど、それぞれを個人として扱っているんですよ。
これが、スピアヘッドの在り方、なんです。
そう考えた時、前回で描かれてた「カイエ、君の死を穢してしまった」というセオトの台詞、実は非常に重いんです。想像以上に。自分たちの在り方を否定してしまったから。

もう一度問います。

シンは何故、こんな事を言ったのでしょうか?

スピアヘッド隊の置かれている状態や背景を想像して、考えて見ましょう。
答えはたった1つ。

分からない

それだけです。
それ以外は分かった気になっているだけなのか、若しくは似た様な背景で生きてきた人だけです。
現代日本で似た様な背景で生きてきた人はいないでしょうから、分からない、が殆どの人の正解になるかと思います。

何故ならば。
我々とは生きている環境が違い過ぎて(我々にとって死が余りにも遠すぎて)彼らの経験が私たちの中に存在しないから。
シンは言います。
慣れました。長い付き合いですから。
死が近すぎるんですよね、シンにとって。
慣れてしまう程に、当たり前になる程に。

そもそも人間とは、主観的な生き物であり、主観でしか生きられない生き物なのです。
根本的に人間って、自分以外の人生を生きれないのだから、他者を理解する事は絶対にありえないんですよ。
でも相手を理解した気になれるのって「自分の中に相手を見つける事が出来るから」なんです。
だから人間って、実は犬とか猫とかコウモリとかアユの気持ちなんて絶対に分かりようが無いんです。
勝手に自分達の気持ちを押し付けて分かった気になっているだけ
なんです。
(それで誰も苦しんでいないのであれば問題ないです)
だから、シンの背景を知って、考えて(本当は経験して)、自分事とした時に、初めて分かる事、なんですよね。
余談ですが。
勝手に分かった気になって、自分の気持ちを相手に押し付けるのって、非常に暴力的だと感じませんか?
挙句の果てに、言う事を聞かないとか言って怒りだすのって、非常に暴力的だと感じませんか?
そして。
人間が根本的に分かり合えない存在なのであれば
どうやって分断を回避するのでしょうか?
これについて、どう思いますか?
問いを変えるなら
今までの話の中で
レーナはどうしていましたか?
スピアヘッドの人々は、どうしていましたか?
ですかね。
そういう視点で、もう一度初めから見直してみると、何か発見があるかもしれません。


追伸


デストロイ表記に何の声も上げずそのまま流している状態って、アルバと何か違いますかね?
それもやらずに、小父様とかペンローズに何か言えるんでしょうか?
虚構と現実は違うと言うならば、では虚構とは何か?現実とは何か?を答えられるんでしょうか?そもそもTwitterやBlogやTVやラジオやハタマタその他諸々、私たちが観測していない人々が現実だと、虚構ではないと、どうやって証明するんでしょうか?
これを読んでいる人も、自分から見たら、実在しているかどうか何て分からない。
実在って何だろう?他者の存在をどう証明するんだろうか?
更に言うなら、私たちはそもそも、現実にしか声を上げてはいけないのだろうか?

と言うか、多分、そういう運動が起こる事を作者は期待していると思うのですが、どうだろうか?
試しに
#DESTROYED表記やめろや
というハッシュタグを流行らせてみよう!(提案)

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