86 エイティシックス 第9話「さよなら」Good bye

今回は写真はありません。何故なら良いの撮れなかったから。
あとレーナのお上品さを無くさないとダメ。リテイク希望。

86の詳しい説明はWikipediaにお任せするとして。

21年春アニメの中でも異色の哲学系アニメ
しつこいですが、おさらいです。
差別の本質は平均を見て個を見ない事
人間は主観でしか生きられない生き物
人間は合理化する生き物
自由とは責任を持つ事

公式ストーリー #9
ついに「特別偵察任務」を開始した生き残りのエイティシックスたちのもとに、シンの名を呼ぶ凄まじい声が届く。思わず身震いをする隊員たちに、レギオンをやり過ごしながら森の中を進むよう告げ、ひとり「羊飼い」との戦闘に挑もうとするシン。肝心な時に頼ってくれないシンに少し虚しさを覚えるライデンだったが、他の敵を引き受けて共に戦うことを選ぶ。「羊飼い」の指示によってシンからも引き離され、次々と迫りくる膨大な数のレギオンを前に息をのむ隊員たち。そこへパラレイドが繋がり――。

過去記事はこちらから。

さて置いて。
見つけたよ、兄さん
で始まる遠足初日。

今まではアルバとか86とかについて考えていました。
今回はレギオンについて考えてみましょう。
というのも、原作者のこのTweetがきっかけ。確かに、と思ったので。
https://twitter.com/Asakura_Toru/status/1395797965919244292?s=20
なにこれどこが人権に繋がるの?と思うかも知れませんが、実はコレも人権について考える事に繋がります。最近ではね。

いきなりクライマックス。
レギオンと和解するには、どうしたら良いでしょうか?
そして出オチ。
ぶっちゃけ、分かりません!が、分からないなりに考えて見ようかと思います。なので凄く散文的になっています。
カッコよく言うなら、徒然なるままに。

レギオンって、コミュニケーション不可能な相手として描かれています。そして人類にとっての脅威。必ず殺しに来るし、生き残るには倒すしかない。
これは壊すと表現すべきなのか殺すと表現すべきなのかは迷いますが。というのも、羊飼い、人間の脳を使っていますよね。
そこに「その人の意志がある」としたら、それは人間なのか?それとも人間じゃないのか?ならば人間である事の境界条件は何なのか?

という訳で、先ずはそこから。

有名なお話で行くと「テセウスの船」というのがあります。これは同一性について問いかけています。
プルタルコスは全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという疑問を投げかけている。 また、ここから派生する問題として置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのかという疑問が生じる。

人間に置き換えるとどうでしょうか?毎日細胞が新しくなっています。きっと10年も立てば体全ての細胞は新しいモノに置き換わっているでしょう。 だとするならば、10年前の自分と、今の自分は同一だと言えるのでしょうか? もし言えるとするならば、何をもって同一だとするのでしょうか?
違う視点で見て見ましょう。 想像してみてください。自分の体を細かく刻んで行ってみましょう。(例えですよ、実際にやっちゃダメですよ。痛いし碌な事にならないから)
一番最後に残る自分が、例えば脳だとして、レギオンはその脳をコピーして使いまわしていますよね。
だとするならば、レギオンは人間でしょうか?
という問い。

つまり
人間の脳を使ったレギオンは、使われた人間なのか?
という問いです。
もう少し具体的に行くと
カイエの脳を使ったレギオンはカイエなのか?
という問いです。
違うと言うなら、カイエは何をもってカイエなのか?
現実に近づくならば、例えばアルツハイマーの患者について
アルツハイマーになる前となった後で同一なのか
という問いです。 ざっくりと言うならば人間である事の条件は何ですか?

次に、レギオンの他者性について。
レギオンは、会話不可能な他者です。我々とは全く違う構造の中にいます。 では、そのような相手とどの様に和解すれば良いのか?そもそも論、和解する必要があるのか?と言うのもありますが。 因みにどれくらい違うかと言うと、
死の恐怖のないレギオンは、必要なら自身の破壊も僚機の巻き添えもためらいません。
というくらい。 ある意味、不老不死を得た、という感じですかね。
今までの流れで行くなら、死生観が全然違う。何故なら、死なないから。(厳密には違うけど)。
死がとても遠い存在なんですよね。
だから
人間とは全く違う道徳観を持っている
と考えられます。
人間は主観的な生き物で、自分の経験を通して他者を理解した気になる生き物です。 なので、レギオンって全く理解出来ない存在、つまり他者なんですよね。
作中でも、レギオンにアーマイゼとか自走式地雷とかという種別はあっても、個々に名前はついていない。
今までの86の話の流れで行くと、実は非常に差別的です。
ではこの他者というのについて、考えて見ます。 「他者の顔」と言った人がいます。エマニュエル・レヴィナスです。 レビナスの語る他者とは
人間未満の扱いを受けたレヴィナスは、人間がどれほど無残に死んでも、「世界」が何事もなかったかのように続いていく事実を恐怖するようになった。
レヴィナスが恐れたのは、明日自分が殺されるかもしれない事実、および、死と無関係に存在し続ける「世の中」だった。
「世界」は、目的も意図もまったく理解不能なまま存在している恐ろしいものであり、そこにレヴィナスは絶対的な「他者」を見出した。レヴィナスに触発され、他の哲学者たちも世界は「私に対して無関係にそこにあり、かつ決して理解できない不愉快な何か」で満ちあふれていることを認識し、そういった「何か」を「他者」と呼ぶようになった。
簡単に言うと
顔が見えない人は簡単に殺せる
という事です。 86の中でも、ハンドラーとプロセッサーの関係として描かれていました。 第四話。レーナの台詞。
ハンドラーがプロセッサーを人間と考えずに済むように
つまりそういう事です。
因みにこの「他者」って、現代日本では大量に存在します。(日本しか知らないから、世界は語れないです)
役職とか名前とかそういうの全部取っ払って「その人そのもの」を知っている、と自信を持って言える人、自分の周りにどれだけ居ますか?
若しくは、現在自分の周りにある便利なモノがどれだけ大量の人によって成り立っているか、想像出来ますか?
多分難しいと思います。それだけ分業化され、世界が複雑化した、という事です。それによって人類は発展した、と言っても過言ではない。
例外として、カイエのレギオン、レイのレギオン、が存在します。つまり羊飼い。
これは顔をもったレギオン、という存在です。
この存在が、私達とレギオンを繋ぐ糸口となり得る、と考えています。
レギオンから見た場合、不老不死を相手に与えている、そっちの方が良いでしょ?という理屈。
86から解放され、違うルールで生きられる。確かにそっちの方が魅力的に見えませんか?
ただそれが違う、命は限りがあるから美しい、という観点もありますが、それも実は合理化した結果でしかない。
もしそれが正しいとするならば、何故医療はこれ程までに発達したのか?という問いに答える必要があります。
カイエの「死にたくない」にどう答えるのか?
レギオンになった事でカイエは不老不死を手に入れました。
ある意味、「死にたくない」に対する答えです。
それをシン達は一方的に駆逐していく訳です。「連れて行かれた」からと言って。その背景にあるモノは、一体何でしょうか?

今回の話では、レイは「気がふれた」状態に見えます。
でも実際はどうなんでしょうか?我々の構造から見たら「異常に見える」というだけです。
レギオンの構造から見たら、それが当たり前で、逆に我々の構造が異常。
つまり、レイを「異常」だと見なすのは、暴力的なんですよね。
レイがシンを連れて行こうとしたのと同じように。
何故ならば
異なる構造に上下関係をつけるのは傲慢であり、他人を強制的に変質させようとしている
からです。

これ、現代日本でも行われています。子供に対して、教育や躾、という名の元に。
そう考えると、現代日本では子供に人権は無いんですよね、実は。明治では子供は家の持ち物、現代では親の持ち物。
子供は現代において、自分の事に関する意思表明の場すら与えられていない。
例えばこれ。
正しくは「我慢させられた」です。
大事なのは、子供達が議論して決めたのか?という点。
「子供達は正しい判断が出来ない」 というのは 「女性は正しい判断が出来ない」 と一緒です。差別的だと思いませんか?
その様な経験をした結果、子供は「学習性無力感」を持った大人となります。
つまり、日本人は「学習性無力感」を抱えた人間だらけです。 という事で、実は日本には人権なんて存在しません。そういう構造なんです。認識していないだけで。
因みに、子供が発見されたのは18世紀でした。それまでは子供というのは存在しなかった。身体的特徴の一つでした。
そして現代では「子供とは弱者であり、守られるべき存在」というレッテルを貼られている状態になっています。

そう考えると、子供って実は「他者」なんですよね。
21世紀は「多様性の時代」と言われています。
多様性の時代とは、金子みすゞの言葉を借りると「みんな違って、みんな良い」時代です。因みに金子みすゞは自殺しています。その背景については、皆様にお任せするとして。
じゃあ他者って、どういう存在なのですか?と言うと、
「自分が変わるきっかけ」 なんですよね。
養老孟司は他者との間には「バカの壁」がある、と言いました。相互理解を「バカの壁」が邪魔をしている、と。
じゃあその壁を乗り越えた時に何があるかと言うと それは自分の世界が広がる があります。
何故ならば 人間は主観的な生き物であり、「他者を理解する」という事は「自分の世界を広げていく」という事 に他ならない。
だからこそ、分かり合えない他者ほど尊敬し理解しようとするという行為が大事になってきます。

ただ、子供とは和解が可能なんですよね。自分たちの経験があるから、想像しやすい。
でもレギオンは違う。
カイエのレギオン、レイのレギオン、という所から想像する事も出来ますが、でも結局はレギオン自体は分からない。

これ、実は現代でも頻繁に起こっています。
環境問題。森林破壊とかCO2とかダムとか海洋汚染とか色々。
これを理解するにはユクシュキュルの「環世界」というのが一助になるかと思います。


例えば椅子。
人間から見ると、座る道具。ノミから見たら、エサ場。
全然違うんですよね。

ノミと和解する為にはどうしたら良いでしょうか?
ノミとは会話も交渉も不可能。でわどうする?
ノミが極端なら、例えば木は?植物は?水は?石は?人間て、実は会話も交渉も出来ないモノだらけに囲まれて生きているんですよね。

答えは、相手の事を知り、人間側が変わる事。
何故人間側が変わる必要があるか?と言うとそれが回りまわって、人間側の不利益なるからです。
これが環境問題であり、SDGs(持続可能な開発目標)の中でも謳われています。
持続可能、とは何でしょうか?
簡単に言うと未来の人間に対して責任を持つという事です。
貴方の幸せが私の幸せになる
という事です。
では問題です。
持続可能な社会の為に、人類の数を減らす事が必要となった場合、どうしますか?
例えば「20XX年までに世界人口を90%減らす」という目標が作られた場合どうしますか?
これ冗談では無いですよ。人口推移を見て見ると、実は産業革命以降、異常な増え方をしていて、それは現在も続いています。
その結果として、現代では様々な環境問題が発生しています。(問題視しているのは人間であって地球側が問題視しているかどうかは不明です)
地球の資源は有限です。その資源の消費スピードを考えると、どうでしょうか?冗談で笑って済ませられたら良いな、と思いますが。
現状ではまだそんな話にはなっていませんが、象徴的な裁判が日本でもありました。原告がウサギの裁判です。
原告はウサギ? 全国初の訴訟から25年、弁護士に聞く
これは結局、ウサギには原告たる資格がない為不成立となったようですが、SDGsに繋がる問題提起をしています。
つまり「地球は人間の為に存在するのか?」という課題。
これを広げていくと何処にたどり着くかと言うのは以下を読んでみて下さい。
人権とは-動物と宇宙人から比較して考える。
因みに。
この時に何が始まるかと言うと命の選択が始まります。
何によって命を選択するかは分かりませんが、何らかの合理化は始まるでしょう。 それは未来の命の否定かも知れません。 そして過去、命の選択を行った実績はあります。2次大戦でナチスドイツが行ったホロコーストがそれです。 そして実は現代日本でも行われています。それが死刑制度です。 何らかの条件があれば、人は命の選択を行います。 死刑制度自体の正しい間違っているはさて置いてある条件下で命の選択をしてる事は紛れもない事実です。
つまり人権に命は含まれない可能性がある、という事であり、尚且つ人権とは他人が決める事だという可能性を示唆しています。

つまり何が言いたいかと言うと
レギオンの事を知らないといけない
という事です。
レギオンと交渉が可能かどうか知らないけれども。
そしてスピアヘッド隊にとってレギオンがどの様な存在なのかも分からないけれど。


あ。
さよなら
はダブルミーニングですね。
あと、シンの認知的不協和の話はしなくても良いですよね?前回書いたし。


最後に。サンマリノ共和国の国是を思い出して下さい。
さて、これらの意味、本当に分かっているか、問いかけてみて下さい。そして今までのエイティシックスで何処まで語られているか、想像してみて下さい。
  1. 自由
  2. 平等
  3. 博愛
  4. 正義
  5. 高潔

追伸
だからDESTROYED表記やめろやって。
デストロイ表記に何の声も上げずそのまま流している状態って、アルバと何か違いますかね?
虚構と現実は違うと言うならば、では虚構とは何か?現実とは何か?を答えられるんでしょうか?
そもそもTwitterやBlogやTVやラジオやハタマタその他諸々、私たちが観測していない人々が現実だと、虚構ではないと、どうやって証明するんでしょうか?
これを読んでいる人も、自分から見たら、実在しているかどうか何て分からない。
実在って何だろう?他者の存在をどう証明するんだろうか?
更に言うなら、私たちはそもそも、現実にしか声を上げてはいけないのだろうか?
と言うか、多分、そういう運動が起こる事を作者は期待していると思うのですが、どうだろうか?
試しに
#DESTROYED表記やめろや
というハッシュタグを流行らせてみよう!(提案)

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