【メモ】うみねこの肖像画の碑文推理中~案3~
案1と案2よりはマシな案。
金蔵は幼少期は小田原にいたと思われ。
小田原は神奈川県。
神奈川県を貫く「東海道」から「鮎の川」は東海道と思われ。
※川は海につながる、と思われ。
東海道を東京から京都方面へ「下る」。
東海道で連想されるもの。
●東海道新幹線
東京⇒新横浜⇒小田原⇒熱海⇒静岡⇒浜松⇒豊橋⇒名古屋⇒岐阜羽島⇒米原⇒京都⇒新大阪
●東海道53次
江戸・日本橋⇒品川⇒川崎⇒神奈川⇒保土ヶ谷⇒戸塚⇒藤沢⇒
平塚⇒大磯⇒小田原⇒箱根⇒三島⇒沼津⇒原⇒吉原⇒蒲原⇒
由比⇒興津⇒江尻⇒府中⇒丸子⇒岡部⇒藤枝⇒島田⇒金谷⇒
日坂⇒掛川⇒袋井⇒見付⇒浜松⇒舞阪⇒新居⇒白須賀⇒二川⇒
吉田⇒御油⇒赤坂⇒藤川⇒岡崎⇒池鯉鮒⇒鳴海⇒宮⇒桑名⇒
四日市⇒石薬師⇒庄野⇒亀山⇒関⇒坂之下⇒土山⇒水口⇒
石部⇒草津⇒大津⇒京都・三条大橋
この中で「里」の漢字が入るのは東海道53次の「池鯉鮒」のみ。
なので、「やがて里あり」の里は「池鯉鮒」の事。
※池鯉鮒(ちりゅう、ちりふ)
池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)は、東海道の江戸品川宿から数えて39番目の宿場。
歴史的仮名遣いでは「ちりふ」。現在の愛知県知立市に位置する。
江戸の日本橋から約330kmで、当時およそ10日間かかったといわれている。
と、ここまで考えて、親族の会議で「懐かしき故郷」は「小田原ではない」「小田原ではない」と言われてた。
いやん。
■碑文1部
懐かしき、故郷を貫く鮎の川。
黄金郷を目指す者よ、これを下りて鍵を探せ。
川を下れば、やがて里あり。
その里にて二人が口にし岸を探れ。
そこに黄金郷への鍵が眠る。
■地の文
■懐かしき故郷
金蔵の少年時代と関係あり。
関東大震災で小田原(神奈川)の右代宮本家屋敷がペッタンコ
東京下町の紡績工場は大火事で全焼。
■鮎の川
川で連想するもの
川は海まで繋がっている
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■その他
低脳な謎々である。
鮎は忘れたら?
やたらと"岸"を強調。
■推理
懐かしき、故郷を貫く鮎の川。
黄金郷を目指す者よ、これを下りて鍵を探せ。
金蔵は幼少期は小田原にいたと思われ。
小田原は神奈川県。
神奈川県を貫く「東海道」から「鮎の川」は東海道と思われ。
※川は海につながる、と思われ。
川を下れば、やがて里あり。
東海道を東京から京都方面へ「下る」。
東海道で連想されるもの。
●東海道新幹線
東京⇒新横浜⇒小田原⇒熱海⇒静岡⇒浜松⇒豊橋⇒名古屋⇒岐阜羽島⇒米原⇒京都⇒新大阪
●東海道53次
江戸・日本橋⇒品川⇒川崎⇒神奈川⇒保土ヶ谷⇒戸塚⇒藤沢⇒
平塚⇒大磯⇒小田原⇒箱根⇒三島⇒沼津⇒原⇒吉原⇒蒲原⇒
由比⇒興津⇒江尻⇒府中⇒丸子⇒岡部⇒藤枝⇒島田⇒金谷⇒
日坂⇒掛川⇒袋井⇒見付⇒浜松⇒舞阪⇒新居⇒白須賀⇒二川⇒
吉田⇒御油⇒赤坂⇒藤川⇒岡崎⇒池鯉鮒⇒鳴海⇒宮⇒桑名⇒
四日市⇒石薬師⇒庄野⇒亀山⇒関⇒坂之下⇒土山⇒水口⇒
石部⇒草津⇒大津⇒京都・三条大橋
この中で「里」の漢字が入るのは東海道53次の「池鯉鮒」のみ。
なので、「やがて里あり」の里は「池鯉鮒」の事。
※池鯉鮒(ちりゅう、ちりふ)
池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)は、東海道の江戸品川宿から数えて39番目の宿場。
歴史的仮名遣いでは「ちりふ」。現在の愛知県知立市に位置する。
江戸の日本橋から約330kmで、当時およそ10日間かかったといわれている。
と、ここまで考えて、親族の会議で「懐かしき故郷」は「小田原ではない」「小田原ではない」と言われてた。
いやん。
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